こんにちは。新制作協会事務局です。
あっという間に5月も後半となり、みなさま着々と搬入に向けて制作を進められているかと思います。事務局は、前回ご紹介させていただいた印刷物も全て納品され、ウキウキしながら発送作業をしています。
この時期はたくさんの印刷物が届き事務所の中がいっぱいになってしまうので、例年、収納棚の中を少し整理したり、この時期に必要なものを取り出したりという作業をしています。今回はこの機会に、いつもはクローゼットに保管している賞牌を少しだけ取りだすことができましたので各部2~3点ですがご紹介させてください。また、82回展の賞牌制作者の藤原郁三先生からお話を伺うことができましたので、ご一緒に制作者側からの目線でもお楽しみいただけたらと思います ♪
こちらは2011年の第75回新制作展の図録のページです。
75回記念展の賞牌の展示をご記憶のみなさまも多いかと思いますが、早くも来年は85回展!なんと10年経ってしまいます。76回展以降の賞牌、全て覚えていらっしゃるでしょうか。
まずは絵画部の先生の賞牌からご紹介させていただきます ♪ 作業中に撮影をしたので背景の事務所感が残念でごめんなさい。
こちらは、1点1点手描きで制作されていて、ちょうどこの日に事務所にいらしていた先生は81回展で受賞をされ、岡崎先生の賞牌をお持ちだったのですが、ご自宅に飾られているものと同じだけれどやっぱりちょっと違うのよ!と感激されていました。
佐藤先生の作品はリトグラフです。事務所に保管されていた作品のエディションナンバーは4/25でした!鉛筆で書かれているのには、様々な理由があるようですが、消しゴムで消そうとしても紙が毛羽立つので改ざんされにくいから、という理由があることを初めて知りました。
2000年 第64回展
絵画部 脇田 和 「りんご」
リトグラフ
絵画部の3点目は創立会員の脇田和先生です。こちらは20年前の賞牌ですがなぜかとても取り出し易いところにありました。以前の入谷の事務所では賞牌を飾っていたのでお引越しの時に手前にしまったのかもしれません。新宿の事務所になってからは、地震対策もあり賞牌は倒れにくいものを玄関に少し飾ってあるだけですが、いつも私達を癒してくれます。
こちらは彫刻部の笹戸先生のブロンズのレリーフです。彫刻の先生は置き型の作品とレリーフの場合があるので、今回はどっちだろうといつもワクワクします。この年は記念展で笹戸先生の作品は新作家賞、佐野ぬい先生の作品は特別賞でした。佐野先生の賞牌はタブローが3点で残念ながら事務所保管分はありませんでした。
きらきらしたハリセンボンは青い目をしています。本物のハリセンボンもこんなに澄んだ青い目なの?と思わず検索したら、本当に綺麗な青い目をしていました。賞牌のハリセンボンさんは金箔を纏ってもらい嬉しそうです。また、ちらっと写っているブルーの巾着はこちらの賞牌を包むためにSD部の佐伯先生が作成されたものです。3部のチームカラーの紐を撚り合わせ、さらに強く美しい紐に仕上げています。新制作50年史の猪熊先生の「うれしい友よ!!強いうれしい友よ!!」という巻頭言が浮かびます。
彫刻部の3点目は冒頭の図録の画像の一番初めに掲載されている創立会員の舟越保武先生です。図録にも何年の賞牌か掲載されていませんでした。
箱の外側には舟越先生の直筆と思われる文字が書かれていてお手紙が入っていたのですが、恐れ多くて開けず、さっと写真だけ撮らせていただきました。箱についたシミさえもが味わい深いです。
2005年 第69回新制作展
スペースデザイン部 小野 かおる 「ふくろうズ」
こちらはスペースデザイン部の小野かおる先生です。図録には手前の眠たそうな顔がメインで写っていますが実は反対側の顔はキリリとしていて、覗き込むと思わず笑顔になってしまいます。小野先生は昨年ご逝去されましたが、ご生前は絵本作家としてもご活躍されていました。
最後は藤原郁三先生の作品です。こちらは陶とガラスで作成されていて、画像ではわかりにくいのですが、ガラスの部分が水面のように美しく光っています。そして今回は藤原先生にお話をうかがうことができましたので、ご紹介させてください。
藤原郁三先生へのインタビュー
■初めての賞牌 第56回展(1992年)
——藤原先生は猪熊弦一郎先生から賞牌を受け取られて言葉をかけてもらったという強烈で印象的な記憶をお持ちと伺いましたが。
そうです。私は1989年、53回展に初出品して入選しました。54回展55回展と入選して、1992年の56回展で初めて新作家賞を受賞しました。その時の授賞式で猪熊弦一郎さんから賞牌を渡していただいたんです。直接声をかけてもらって、すごく優しい笑顔でね、「おめでとう。これからもいい作品を作ってくださいね。」とひとりひとりに言葉をかけてくださっていたことがものすごく印象的でした。公共芸術について強い影響を受けていた大好きな作家に直接声をかけてもらえて、新制作展に出品して本当に良かったなあと感激したことを覚えています。その記憶があまりにも強烈でそれ以外のことはすっかり忘れてしまいました。笑
■第82回展の賞牌に込めた想い
——第82回展の賞牌として制作された「飛翔」について伺います。テーマなどはどのようにして決められたのでしょうか。
「飛翔」を作る時にテーマとした “ 鳥 ” というのはライフワークでもあって、最初からいまだに作り続けています。背景にガラスが使われているでしょう。あれは一升瓶のカレットを一緒に焼いて溶かしてあるんです。大吟醸の瓶で、きれいな緑です。あの時30個の賞牌を作るにあたっては…何本使ったかなぁ、10本くらいは飲んだかな!それくらいは使っています。笑
土とガラスって、対極にあるように感じるものじゃないですか。土は光を通さない、ガラスは光を通す、土は水を通すけどガラスは水を通さない。しかし、正反対のように見えて実はもとは同じものなんです。土とガラスを入れてそれを一緒に溶かす。大地からできた土を練って、羽を付けた鳥の形を彫り、わざわざガラス瓶だったものと合わせて。つまりこれは、原点は同じだがバラバラに分かれていたものをもう一度ひとつにしている作品です。
しかも、全く対極のものというのは意外と相性がいいんです。水を通すものと通さないもの、硬いものと柔らかいもの、反対のものは求めあう、男と女みたいなものです。全く性質の違うものを組み合わせることによって意外性が出て、それが美しいものを創る一つの根拠になる。だから私は物を創る時にはいつも対極のものを組み合わせるということを考えるんです。それの象徴的な仕事がこの賞牌「飛翔」になるんじゃないでしょうか。
■ものつくりをする皆さんへ
——今回このような状況の中で新制作展に応募する皆さんへ、メッセージをいただけますでしょうか。
今コロナ禍で一番被害を被っているのは芸術分野、直接生存に関係のない分野で仕事している人たちではないでしょうか。私の周りでもみんな大変です。展覧会をやっても人が来ないし、何かに参加しようと思ってもなかなか今できるような状態じゃない。移動ができない。不自由な中でみんな我慢してやっていますよね。でもやっぱりどんなに世の中が大変でも、だからアートは必要ない、ということはありません。むしろ精神的な拠り所として、こういう時だからこそアートは必要だと思うんですね。アートの力で世の中を変えようなんてだいそれたことは思いませんけれど、アーティストがこういう時だからこそ自分の思いを作品にするっていうことは大事だと思っています。
作品を創ることにエネルギーを集中して、いろんな煩わしいことを忘れたり乗り越えたりしてほしいなと思います。そうやって皆さんが命懸けで創ったものを今なかなか発表できる機会ってないじゃないですか。団体展はそれを少しでも多くの人に見ていただけるように力を尽くしてやっていかなきゃいけないと思いますし、新制作の役割というのはそこだと思うんです。会を運営していく人たちみんなで頑張っていくしかない。応募した皆さんの努力に報えるように、作品が日の目を見るように頑張らなきゃいけないと思っています。搬入搬出にも不安を感じないように安全な形で態勢を整えますから、どうぞ頑張って作品を創ってください。今は自分の作品を創ることに集中してください。それしか解決の道、出口はないと思っています。ものを創る人は、創るっていうことでしか解決できないし、創っていく中でしか考えていけないのですから、「つくる」という基本はどんなに大変でも忘れないでほしいです。私自身も含めて、そう思ってみんな頑張ろうとしています。
——先生方の決意やご覚悟に触れる度に身が引き締まる思いです。
それでもね、大変でも創っていかなかったらもっと救いのないことになってしまいますから、どんなに大変な中でも創っていかなければならない。そういう意味では新制作展というひとつの目標があることは素晴らしいと思います。私もこれから今年の展覧会に向けて制作していこうと思っています。
——藤原先生、ありがとうございました。これまでの賞牌が数々のドラマティックな思い出を生み、その後の制作に影響を与えてきたということがよくわかりました!!
第84回展の賞牌はどなたの作品でしょうか・・・!私達も今からとても楽しみです ♪
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは、まだまだ安心できない日々が続きますのでどうかお気をつけてお過ごしくださいませ。
事務局 峠・桑久保